子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也


「子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也」
孔子の論語の一節
本日、私的に御目出度い事が御座いまして、また、思うところがあってこの一節をタイトルといたしました。
意味につきましては、あえて解説を省略する事とし、代わりに私個人の略式家計図を見つけましたので、少しだけ公開いたします。
それにしても、興味深い。面白い名前が多いです。
さて、普段はこのような事は考えないのですが、少しだけ先祖について考えてみました。

1の2乗は2
2の2乗は4
4の2乗は8
8の2乗は16
16の2乗は32

わずか5世代遡るだけで32人の先祖に辿り着くのですねえ。この計算では10世代も遡れば、

32の2乗は64
64の2乗は128
128の2乗は256
256の2乗は512
512の2乗は1024

その数はなんと1024人です。適齢期を30年と仮定して10世代前の西暦を試算すると30×10=300年ですから、1700年といえば江戸中期頃でしょうか。
試しに西洋起源まで遡った場合、何世代で何人の関わりがあったかを試算してみますと、

2011÷30=67世代
2の67乗は1475739530000000000000人となります。

単位で言いますと1.4垓(がい)という聞きなれない単位になります。
※単位:一・十・百・千・万・十万・百万・千万・億・十億・百億・千億・兆・十兆・百兆・千兆・京・十京・百京・千京・垓

起源元年の日本は弥生時代であり、ヨーロッパではローマ帝国、アジアでは三国志の時代ですね。大昔と思うかもしれませんが、表題の一節を記したとされる孔子様はさらに古い人物で紀元前551年ごろの人物ですから驚きです。

我々は最初から多くの人のバトンリレーを受けて此処に在るというわけですね。そして、また見ぬ多くの人へバトンを渡さなければならないという重要な役目も背負わされていると言えます。
私は日ごろから「人生は短い」と嘆いておりましたが、こうして先祖について考察すれば、実は生きているだけで儲けものなのであると、そう前向きに考えれるようになった気がします。この気持ちをあえて言葉にするなら「人生とは賜物である」ですかねえ。
今回は普段とは内容の異なるメルヘンチックなお話でした。それでは。

Comments are closed.