
志賀公園にはかつて小田信長の父、信秀に遣えた平手政秀を城主とした志賀城があったとされております。

平手政秀は信長の後見役として活躍し斎藤道三との和睦など成立させたりしましたが、信長のうつけぶりを戒めるため自害したと伝えられております。

史実が正しいのなら、信長を悲観し自害したとも取れますが、当時の人々の死生観は不明ですので、真剣に組織を憂いての人身御供のつもりだったのかも知れませんね。

さて、キンモクセイ。

近寄れば寄るほど

良いにおい

志賀城にも

香っていたのかなあ。


池の水は澄んでいます。


あ、猫。



この陶器の欠片は?志賀城で使われていたものか?そんなわけはないですね。
それではまた。