九頭竜より車で40分ほどで郡上へ到着しました。
とりあえず郡上八幡城へ行ってみることにします。
駅の中には鉄道に関する資料館らしきものもありました。古い道具も展示されており興味深かったです。
長良川の上流でもあります。
市内は祭りのイベントがあったせいか混んでおりました。
城に向かって山道を登ります。
非常に険しいです。
それもそのはず、立派な山城ですねこれは。
やっと郡上八幡城が見えました。
石垣も
なかなか
立派です。
いよいよ郡上八幡城へ近づきます。
八幡城の沿革
永禄2年(1559)遠藤盛数が東殿山(市街地南方)の東家を滅し八幡城を築いたのがこの城の創始である。後、秀吉が天下を統一し、領地二万石を没収せられて加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり城郭を修築して天主台等を設けた。やがて関が原合戦が起こると遠藤盛数は家康に味方し、慶長五年(1600)再び遠藤氏が城主となった。
元禄五年(1692)遠藤氏跡継なく没収せられ陸奥より井上正佳が城主(四万石)となって来封したが間もなく同十一年金森頼?がこれに代わって封せられた。宝暦八年金森頼錦の晩年になって失政のため農民困窮甚だしくついに金森騒動宝暦義民の一揆が起こり、そのため一家は断絶され、同年後国宮津の城主青山幸道が代わって郡上藩主となり八幡城下四万八千石を領することになった。その後、藩政よく治まってその後明治維新によって廃城となり、昭和八年旧跡に模擬天守閣が作られたのである。
いい眺めです。晴れてれば最高でしたねえ。
落雷の跡があるそうです。
ここらしいです。
大人300円子供150円
いよいよ門をくぐります。
なかなか立派な城構えです。
景色も良いですしね。
山内一豊とお千代のパネルがあります。
入城します。
模擬天守閣ということで、内部はこのような造りとなっています。
赤髭作兵衛さんの力石物語の絵
最上部からの眺め。
変わった建物ですね。郡上市総合スポーツセンタのようです。
何か置いてあります。
日本一
八幡城のふもとにある積翠神社の御神体です。安政3年(1856)、江戸下屋敷にある槙の木が倒れ、その中から、「日本一」の文字が現れました。それを見た藩主青山幸哉は吉兆の知らせだということで、積翠神社に祭りました。
日本一
縁起がいいですね。
晴れていれば
こんな
景色が
見えたと思うと
ちょっと残念。
天井にあった方角を示すもの。
これが、あの力石
この二つの石は、寛文七年(1667)城主遠藤常友が城を修理するため領内から多数の人夫を集めたとき、その中の一人である大和町の作兵衛(通称、赤髭)が城下の河原から背負ってこの地まで運び上げたものである。(重さ約350キロ・長さ約1メートル・厚さ役30センチ)奉行の村上貞右衛門がその力量のすぐれているのをみて激賞すると彼は感涙し、たちまち力尽きてその場で卒倒し息絶えてしまった。
奉行は哀れに思ってこの石の使用を禁じたが、昭和八年(1933)に天守閣を建設する際にこの石が草の中に捨てられているのを見た古川七兵衛氏が作兵衛の心根が世に忘れられたのを嘆き、この地に碑として安置して顕彰しその礎石にことのあらましを記したものである。
何事もあまり無理をしては駄目という事しょうかねえ。
このあと、郡上おどりで混雑する郡上市内を避けるために、下呂温泉の方角へ向かいつつ大滝鍾乳洞へ立ち寄ることになります。