それが水着着用になって久しいです。
しかし、このたび。ここに来る地元の人から驚くべき話を聞いたのです。
その人物は老翁と老婆でしたが。
老翁「最近ここが足湯状態になって汚れて困る」老婆 「ほれこのとおりよ」
と、湯の花を指さして言うのです。
「これは湯の花ではないですかね?」
と私が指摘したのですが。
老翁「この湯口近くが、一番きたない、汚れてる!3日も掃除していないからだ!でもなぜかぬるい方はきれい。」老婆「それは湯口近辺で足湯をする人が多いからよ」
と頑なに意見を変えないご様子。
※なお、湯の花は温度差の激しいところにもっとも多く発生しますので、湯口付近に大量にあるのは全く自然。
さらに。時間差で後から来た地元のご老人も、
「うわぁ?。今日は汚れているのか、じゃあ入るのやめて帰るわ」
といった具合で皆さんで湯の花をゴミだと心底思っているご様子。しかも、そのあとから来た人もまた同じことを言って引き返す始末。
これはもはや文化かもしれません。
湯の花を汚れと認識する文化。
なお、この川の対岸の白鷺の湯という温泉場があるのですが、そこの湯は硫黄の匂いのない白湯のような感じで、その綺麗さを求めて地元の常連さんが来ているようです。そこの湯と比べると噴泉池の湯の花は汚れに見えても不思議ではない。
しかし、この下呂温泉、年々、湯の量が落ちてきていると感じます。いや、この噴泉池、つい数年前まで源泉からあふれるほどに湧出し熱すぎて困るほどだったような。間違いないはずです。疑問に思って調べたところ、実際に
下呂温泉全体の温泉噴出量は低下
しているようです。それにしても低下しすぎです。歴史的には湯口の場所も1000年前から今に至るまで山頂から河原の方に移動してきており、もともと枯渇しやすい温泉のようです。一度、最小まで枯渇し寂れ切った後、昭和初期に名古屋の実業家が復活させた経緯があるようです。
深堀は枯渇に止めを刺すような行為のようですし、湧出量に関しては自然の成り行きを見守るより他になさそうです。
それではまた。