Archive for the ‘岐阜’ Category

下呂温泉(福井・岐阜周遊旅行)

土曜日, 8月 14th, 2010

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大滝鍾乳洞から下呂方面へ328号から256号へ接続すると道が広くなります。
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若干遠回りになりますが、下呂へはこの道を行くしかありません。
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1時間ほどで下呂へ到着です。しらさぎ緑地の駐車場へ車を停めます。
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下呂温泉噴泉池
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水着着用が義務化されています。
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ご老人も水着着用です。
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今回も幸乃湯へ行きました。冬に比べ夏は湯温が熱く感じれれました。少し飲泉して長旅の疲れもほぐれます。
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いでゆ夜市というイベントをやっているようです。
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メインストリートへと歩きます。
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橋の袂に噴泉している場所があります。
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ここのお湯が最も硫黄臭いです。手肌に塗り日焼けを癒しました。ペットボトルに入れれば化粧水になりそうですね。
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対岸のホテル
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ライトアップでいつもより情緒のある橋
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いでゆ夜市のせいかちょうちんが飾れれています。
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チャップリンさんも
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今日は賑やかですね。
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いでゆ夜市とは
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つまり
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川沿いの店が夜も営業するという事らしいですね。
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最後に温泉病院の近くのコンビニで飛騨川尻豆腐を買いました。各150円。3種類ありましたがお勧めは普通の栄養豆腐。はじめて見るチューブ豆腐。しかし、驚くほどおいしいです。やはり水の綺麗な飛騨で作られているものは違いますねえ。名古屋でも販売して欲しいですね。

今回は2日間の日程で水晶浜→九頭竜湖→郡上八幡城→大滝鍾乳洞→下呂温泉というコースで周遊となりました。道中、渋滞することも無くスムーズに進行し、良かったです。天気のほうも2日目は雨でしたが、観光には影響なくとても満足のいく旅行となりました。

大滝鍾乳洞(福井・岐阜周遊旅行)

土曜日, 8月 14th, 2010

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郡上を離れ、一路、大滝鍾乳洞へ向かいます。
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道幅が狭く、対向車に気を使いながら進むと
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釣堀から煙が上がるのが見えてきます。
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そしてこの先が
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駐車場です。すごく混んでます。人気があるようです。
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雨が止んできました。
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釣堀が賑わっています。
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ここで、団体さんが記念写真を撮ります。
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大滝鍾乳洞案内図
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通常は大人1,000円中人800円小人500円です。この他にも、大滝鍾乳洞と縄文鍾乳洞のAセットが1,300円、大滝鍾乳洞と石焼料理古代焼きのBセットが2,100円、大滝鍾乳洞観光と流しそうめん食べ放題のCセットが1,300円でした。公式サイトには料金案内が見当たらないようですが、とりあえず、今回はCセットで行きます。
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鍾乳洞入り口へはケーブルカーで行きます。

このように、ゆっくりと上ります。
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終点駅から下を見ます。
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本洞は古生代の石灰岩中に生じた断層が、地下水によって溶解、拡大されて出来たものである。東西270m、南北40m、高度差100mの範囲に八層にわたり、生成している。現在までの調査でも、既に1,000mをこえる通路、広間が知られており、さらに上部に延長が期待されるので、当地域最大級の鍾乳洞であることは間違いない。洞窟はほぼ、東に向かって直線的に、幾段もの滝によって高くなっている。奥部には大きな広間があり、上下左右に連絡して全体として迷路を形成している。水流の多いことも本洞窟の特色であり、若々しい美しさの原因となっている。鍾乳石類は量・質共に豊富、多彩であらゆる種類のものが見られると言って良い。アンソダイト(石花)・ヘリグマイト・ヘリクタイト等は、この地方では本洞窟にしか見られないものである。洞窟珊瑚の中には他に報告のない型のものがある。成長中のものが多く新鮮で純度が高く、光を通すものが多い。また赤色からピンク色に着色したものがあるのは注目に値する。母岩の石灰岩には、古生代ベルム紀のフズリナ化石等が多量に含まれ、2億数千万年前当地域が海域であったことを示している。なお、洞窟の生成された年代については他の証拠により数万年をこえることはない。この付近一帯には数十の洞窟があり、その中からナウマン象、ヘラ鹿、大角鹿をはじめとする現在絶滅した動物の化石が大量に発見され、当地域が数万年前、現在よりも寒冷な高原であったことが予想されている。まあ、とにかく珍しいということですね。
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それでは入ります。冷房が効いてるかのように中は涼しいです。
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だれが名づけたか
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わかりませんが
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特に
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命名しなくても
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良い気がしますが、
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そういったネーミングセンスを吟味するのも
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この鍾乳洞の味ですね。デコレーションケーキと命名された石もありましたよ。
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大滝
落差30メートル、地下60メートル。この鍾乳洞の名前の由来でもある最大の見せ場。圧巻です。
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上は暗いです。それにしても、こんなところに滝があるのは初めて見ました。

このように滝が流れています。
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大滝洞窟不動尊
迫力の存在感です。画像に何か映りこんでいる気がしますが、気にしないほうが良いでしょう。おそらく滝の飛沫ですね。そういうことにしておきましょう。
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このお不動様は特に人々の健康長寿を祈願して洞内の奥深く自然石に刻まれました。
作者は台湾の彫刻家、柳順天先生で、この大滝の神秘さに感激されて5ヶ月かかって刻まれましたそうです。
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御神水
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この滝を通過すると見所はほとんどありません。
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出口です。冷房の効いたような洞窟から、むせ返る様な夏の熱気に逆戻りとなります。
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山道を下りますと
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ふもとに流しそうめん屋さんが
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通常は、大人600円ですが
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大滝鍾乳洞観光と流しそうめん食べ放題のCセットが1,300円でしたので、実質は300円です。
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ステンレスなので風流とはいきませんが、清潔感はバッチリです。
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つゆのおかわりも自由。鍾乳洞の天然水かけ流しでいただくそうめん食べ放題。これで300円。食べ過ぎました。「おなかいっぱいになりましたか?」店員さんは親切に声をかけてくれました。
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次回は古代焼きを堪能したいです。
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相変わらずにぎわう釣堀、実際に釣れているので運がよければ元を取れますね。
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釣ったニジマスはここで焼く事もできます。
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Cセット付属の券でおみくじが無料で引けます。
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大吉でした。
気分の良くなったところで、この後、最後の目的地である下呂温泉へ向かいます。

八幡城(福井・岐阜周遊旅行)

土曜日, 8月 14th, 2010

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九頭竜より車で40分ほどで郡上へ到着しました。
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とりあえず郡上八幡城へ行ってみることにします。
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駅の中には鉄道に関する資料館らしきものもありました。古い道具も展示されており興味深かったです。
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長良川の上流でもあります。
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市内は祭りのイベントがあったせいか混んでおりました。
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城に向かって山道を登ります。
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非常に険しいです。
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それもそのはず、立派な山城ですねこれは。
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やっと郡上八幡城が見えました。
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石垣も
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なかなか
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立派です。
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いよいよ郡上八幡城へ近づきます。
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八幡城の沿革
永禄2年(1559)遠藤盛数が東殿山(市街地南方)の東家を滅し八幡城を築いたのがこの城の創始である。後、秀吉が天下を統一し、領地二万石を没収せられて加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり城郭を修築して天主台等を設けた。やがて関が原合戦が起こると遠藤盛数は家康に味方し、慶長五年(1600)再び遠藤氏が城主となった。
元禄五年(1692)遠藤氏跡継なく没収せられ陸奥より井上正佳が城主(四万石)となって来封したが間もなく同十一年金森頼?がこれに代わって封せられた。宝暦八年金森頼錦の晩年になって失政のため農民困窮甚だしくついに金森騒動宝暦義民の一揆が起こり、そのため一家は断絶され、同年後国宮津の城主青山幸道が代わって郡上藩主となり八幡城下四万八千石を領することになった。その後、藩政よく治まってその後明治維新によって廃城となり、昭和八年旧跡に模擬天守閣が作られたのである。
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いい眺めです。晴れてれば最高でしたねえ。
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落雷の跡があるそうです。
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ここらしいです。
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大人300円子供150円
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いよいよ門をくぐります。
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なかなか立派な城構えです。
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景色も良いですしね。
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山内一豊とお千代のパネルがあります。
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入城します。
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模擬天守閣ということで、内部はこのような造りとなっています。
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赤髭作兵衛さんの力石物語の絵
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最上部からの眺め。
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変わった建物ですね。郡上市総合スポーツセンタのようです。
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何か置いてあります。
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日本一
八幡城のふもとにある積翠神社の御神体です。安政3年(1856)、江戸下屋敷にある槙の木が倒れ、その中から、「日本一」の文字が現れました。それを見た藩主青山幸哉は吉兆の知らせだということで、積翠神社に祭りました。
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日本一
縁起がいいですね。
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晴れていれば
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こんな
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景色が
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見えたと思うと
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ちょっと残念。
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天井にあった方角を示すもの。
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これが、あの力石
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この二つの石は、寛文七年(1667)城主遠藤常友が城を修理するため領内から多数の人夫を集めたとき、その中の一人である大和町の作兵衛(通称、赤髭)が城下の河原から背負ってこの地まで運び上げたものである。(重さ約350キロ・長さ約1メートル・厚さ役30センチ)奉行の村上貞右衛門がその力量のすぐれているのをみて激賞すると彼は感涙し、たちまち力尽きてその場で卒倒し息絶えてしまった。
奉行は哀れに思ってこの石の使用を禁じたが、昭和八年(1933)に天守閣を建設する際にこの石が草の中に捨てられているのを見た古川七兵衛氏が作兵衛の心根が世に忘れられたのを嘆き、この地に碑として安置して顕彰しその礎石にことのあらましを記したものである。
何事もあまり無理をしては駄目という事しょうかねえ。

このあと、郡上おどりで混雑する郡上市内を避けるために、下呂温泉の方角へ向かいつつ大滝鍾乳洞へ立ち寄ることになります。

第65回全国花火大会in岐阜長良川河川敷

土曜日, 8月 7th, 2010

全国から花火師が集まり技を競い合う、歴史的・規模的にも全国有数の花火大会。全国から花火師が集うから「全国」花火大会と言うのですねえ。3万発という数は確かに中部地域では最大規模だと言えるでしょう。人手に関しては30万人と、10分の1の3000発しかない名古屋みなと祭花火大会の人手39万人に対してやや少なめです。そういったデーターから計算すれば、数ある花火大会の中で、混雑比で打上花火数が最も多い、非常に遠征し甲斐のある花火大会と言えると思います。
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到着時には車道は既に通行止めでした。
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信号も既に機能停止。
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岐阜城
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夕暮れてきました
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河川敷は既にいっぱいです。バーベキューをやったりして楽しそうです。
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日陰となり、さらに暗くなります
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屋台ではビールが1,000円とインフレ価格になってます。
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明るいうちから間欠的に
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花火が打ちあがり
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気分をもり上げていきます
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もうすぐ日が沈みます
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活気を増す屋台群
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完全に日が没した頃から花火が連続で打ちあがります。
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岐阜の花火
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かつて小学生の頃に
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見た時は
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音の近さに
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驚いたものです
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肺の奥まで
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響き渡り
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自分の体が
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太鼓のごとく
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振動するかのようでした
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長良川は
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水が綺麗ですので
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夏には泳いだ事もありましたのも遠い思い出です。
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最後が近づくと、仕掛け花火のナイアガラの滝が長良川を横断し
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上空を花火が飾ります。そういえば、こういった花火大会は死者の魂をなぐさめるために始まったと聞いたことがあります。

そしてクライマックスへ
残暑はまだ厳しく、しばらくは暑い日が続くことで御座いましょう。皆様、健康にはくれぐれもご自愛下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

田縣神社・大縣神社・岐阜城巡り

土曜日, 4月 17th, 2010

田縣神社・大縣神社・岐阜城巡り

一度も訪問した事がなかったので田縣神社へお参りに。
ここで行われる豊年祭は奇祭として有名です。
子宝と農業の信仰を結びつけた神社と聞いております。

いろいろ説明が書かれています。
子宝・安全・商売繁盛などを祈願できるようです。

本殿。お賽銭を入れてお願いしてみました。

奥にも拝殿があります。

奥宮。生むは産むに通じて商売繁盛とかかれています。

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珍宝窟

摩れと書いてあります。

奉納物2

奉納物3

国旗がはためいておりました。昔は深夜に放送が終わる頃、こんな旗の映像が流れてるのをよく見たことがあります。

桜もまだ咲いています。桜はいかにも日本的です。

折角なので、近くにある大縣神社へ参ります

本殿

姫之宮

シダレ桜がきれいです。普通の桜より女性的な感じがします。

岐阜へ向かう途中、古墳を見つけました。
青塚古墳史跡公園と言うそうです。

4世紀中ごろの前方後円墳
長さ123メートル高さ7メートル

鍵穴のようです。

近くの資料館には出土品が飾られています。

岐阜にあります金華山ロープウェーへ到着しました。
私は岐阜が本籍なのですが、ここに来るのは30年ぶりかもしれません。

大人、往復1,050円です。

チケット販売機もありました。

ふもとではジュースは正規価格です。

乗り場へ向かいます。

雰囲気的には飛行機に乗る気分です。

金華山ロープウェイ上り

山頂駅へ到着です。

150円→170円へと価格が上がります。当然といえば当然です。

天下第一の門。目的地は岐阜城です。

よく見ると岐阜市が作った門だったようです。

福閻魔大王さん。

岐阜城題目塚。

岐阜城の歴史。遡ると12世紀ごろには砦があったようです。
その後、紆余曲折を経て信長がこの城を本拠地とした時にこの地域を「岐阜」と命名したようです。天下布武の朱印を用い始めたのもこの頃で、本格的に天下統一を考え出したそうです。いやあ。奥深い。

奥深いというか、まだ城に到着できません。

戦国時代の軍用井戸は20M下るとあるようです。

折角なので見に行きました。井戸というより雨水を貯めた穴だったようです。

ようやく城が近づきました。

ついに入り口です。入城料は200円です。

正面に信長像の複製。怖いですね。迫力があります。

天守閣からの眺め、名古屋方面を見てみます。

ズームイン

さらにズームインしてやっと一宮タワーが見えます

後方に見えるのが名古屋駅ツインタワー

方向を変えると御嶽山も見えます。

池田之助

斉藤道三

織田信長

当時の岐阜城、予想外に立派です。そういえば安土城も似たような山城。信長公は遠くまで見渡せる景色が好きだったのでしょうね。

内部は、近代的な博物館です。

レストランの展望台から眺める岐阜城。

ここにも記念メダルが売っています。

買うところだったのですが、帰りのロープウェイへの時間がないのでよく考えて今回はやめました。

金華山ロープウェイ下り。終電でした。
今回は、岐阜城が特にすばらしかったです。城からの眺めがまた格別で御座いました。